西尾祭時記 祭礼デジタルアーカイブ

西尾祇園祭

[ にしおぎおんまつり ]

西尾市の夏を彩り約四百年の歴史を誇る

西尾祇園祭は、疫病や災厄除けを祈念する伊文神社(いぶんじんじゃ)の夏の祭礼として長い歴史があります。伊文神社は西尾城下の産土神(うぶすながみ)として、文禄3年(1594)に城主となった田中吉政以降歴代の城主が崇敬し、祭りもまた、城主らの庇護(ひご)のもとで盛んになりました。

現在のように、伊文神社の神輿(みこし)が城下の町を廻り、西尾城内に位置する御剱八幡宮(みつるぎはちまんぐう)へ渡御(とぎょ)するようになったのは、土井氏・三浦氏が城主であった時代の享保16年(1731)から寛永2年(1749)のことと考えられています。これが寛政(1789-1801)の頃には「祭礼の根本」とされるまでに定着し、伊文・御剱両社の神様の「ご対面」が祭りの最も重要なポイントとなりました。

この神輿渡御に各町による練り物が随行します。天王町の神楽獅子、肴町の大名行列、中町の大屋形などがそれにあたり、祭りを華やかに盛り上げます。いつの時代も、西尾町衆の心意気が、祭りを作り上げてきたのです。

かつての神輿行列は、初日に伊文神社を出て大手門前に設けられた御旅所で一夜を過ごし、2日目に城主名代の拝礼を受け、城内に鎮座する御剱八幡宮へ。「ご対面」の儀式ののち、再び城下をめぐってから伊文神社へ帰りました。

時経て戦後高度経済成長期のさなか昭和36年(1961)には「西尾まつり」が始まり、伝統的な神輿渡御や大名行列とともに提灯パレードなど新たな催しが行われるようになりました。平成7年(1995)には市民総踊り「踊ろっ茶・西尾!!」が加わり、祭り最終日のイベントとして定着しました。令和元年(2019)を最後に惜しまれつつ終了いたしましたが、令和3年(2021)からは新たに「おどりん 西尾!!」として生まれ変わり、祭りの最終日を盛り上げています(※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和3年は動画コンテストのみ実施)。

一時期使われなかった御旅所は地元の努力により復元され、平成19年(2007)には中央通りに場所を移して設置されるようになりました。さらに平成22年(2010)には本来の祭りの姿を後世に残そうと「西尾祇園祭」と改称。現在に至ります。